そのサービスは、どんな「欲望」に斬り込んでいるか?(スコット・ギャロウェイ『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』書評)
2018年の流行語大賞の候補に、「GAFA」がノミネートされました。
GAFAのようなテクノロジー企業の影響力が日本のマスにまで完全に浸透したことを、端的に示す例だと言えるでしょう。
僕も、ずっと気になっていた『GAFA』を読みました。
結果、想像以上に楽しい本でした。
なぜなら、この本は、GAFAのビジネス戦略というよりは、「いかにして人間の欲望に侵食しているか?」にフォーカスが当てられているから。
狩猟本能に訴えかけるAmazon。
「下半身」を魅了し、やがて宗教となったApple。
「つながり」と「愛」の欲望をくすぐるFacebook。
そして、あらゆる人間の欲望を知り、神となったGoogle。
GAFAをヨハネの黙示録の「四騎士」になぞらえ、いかに人間の「脳」「心」「性器」を操っているかを明らかにしていく。
正直、「これはさすがにトンデモ論では」という箇所もないことはありませんでしたが、的を射ている部分も多いと感じましたし、何よりこうして「欲望」の観点からテクノロジー企業を解き明かす試み自体が素晴らしいですね。
日常でニュース記事などを読むときも、「このサービスは人間のどんな欲望に斬り込んでいるか?」を意識して思考する癖をつけたいと思います。
マインドフル・ライティング
noteが普及するにつれ、「毎日noteを書くぞ」的な動きをよく見るようになりました。
自分は、正直そういった潮流にはあまり賛同できません。また今度まとまった文章を書こうと思いますが、noteにはバズ狙いの箇条書きTwitterにも似た嫌悪感を抱いてしまうのです。
しかし、「毎日書く」という行為自体の価値は、それなりにあるのかなとも思います。
特に忙しい時期ほど、目の前のエディタだけを見て、自分の感情や思考に向き合う、いわば「マインドフル・ライティング」を行うことで、思考が整理されたり、気持ちが落ち着く効果があるのではないでしょうか。
そんなわけで、どんなに忙しくても、できるだけ毎日書くようにしていけたらと思います。
「市場規模●●億円」と言われてピンと来るひと、来ないひと(シバタナオキ+吉川欣也『テクノロジーの地政学』書評)
「▲▲の市場規模は、2017年には●●億円にのぼり...」–––ビジネスに関する書籍や記事を読んでいると、よくこうした表現に出会います。
自分は、こういう一節を見て、ビビットに理解できた試しがありません。
「へぇ〜、大きいんだ〜」くらいの感想を抱いて、そのまま頭からすっきりと抜け落ちてしまう。
ビジネス・テクノロジー領域の編集者になった今も、正直、あまりしっくり来ないです。
理由を考えてみたのですが、結局は「自分が大規模なビジネスを動かしたことがないから」に尽きる気がします。
おそらく年商数億円規模のビジネスの事業責任者を務めたことがあれば、それに照らし合わせてイメージできるのだと思います。
確かに自分も、1ヶ月に数百万円の広告予算を動かしてマーケティング施策を打っていたことがあるので、企業が使うマーケティング費用についてはもっと高解像度で理解できる気がします。
となると、こうした数字を理解できるようになるためには、あらゆる規模のビジネスを動かす経験を積むしかありません。
つまり、ビジネス領域においては「事業家」が「評論家」であり、カルチャー領域のように単体の「評論家」が生まれにくい構造になっているのではないでしょうか。
しかし、自分は事業家になりたいかと言われたら、あまりそうでもない。
そうなった時、「自分のやるべきことは何か?」と考えると、やはり「このビジネスで世界が質的にどう変わるか」を考えることなのだと思います。
もちろん、市場規模や売上といった量的な理解もある程度はできないといけないし、そこの解像度を上げる努力は怠る気はありません。
けれども、自分が考えるべきこと、考えたいことは、「このサービスで人間がどう変わるか」なのだと、改めて合点がいきました。
そのために、質的な情報・量的な情報を、時間の許す限り取りに行こうと思います。
今回読んだ『テクノロジーの地政学』も、まさに「市場規模●●億円」といった表現のオンパレードでした。
「人工知能」「次世代モビリティ」「フィンテック」など、ジャンル別に統計データや主要プレイヤーの詳細、そして有識者のコメントが収録されており、現代のビジネス・テクノロジーの大状況が手軽に分かります。
シリコンバレーと中国の比較が主になっているのも、中国の凄まじさが伝わりやすく、良いコンセプトだと思いました。
だけど、「このビジネス・テクノロジーによって、人間はどう変わるか?」についての記載はほぼありませんでした。
この本は面白かったけれど、「質的」な方面で書いてみたいと思わされました。
笑ってしまうくらいの思想性が、未来への原動力となる(『WIRED』日本版VOL.31書評)
雑誌は、思想のシャワーみたいなもの。
特定の思想をバックボーンに、さまざまな論者が、多様な角度から世界を語る。
それは時に暴力性を孕むかもしれない。
だけど、そうやってスタンスを取ることで、はじめて世界が変わることもある。
ポリコレ棒を振りかざして思想を排除するのではなく、その思想が持つ推進力を、いかにしてポジティブに作用させていくのかを、まじめに考えるべきだ。
『WIRED』日本版VOL.31を読み、そんなことを考えました。
新編集長・松島倫明氏が率いる体制になって、はじめての刊行。
テーマは「ニュー・エコノミー」。
カリフォルニアン・イデオロギーのシャワーが、気持ちいい。
ページを繰る手が止まりませんでした。
とにかく、カリフォルニアン・イデオロギーに立脚した論考が、これでもかというくらいに降りかかってくる。
特に冒頭の特集は圧巻で、ケヴィン・ケリーやクリス・アンダーソンなど、WIREDを代表する方々が、時には「WIREDは25年前に今の状況を予測していた。すごいだろ。」的な正当化(?)を交えながら、この25年を振り返っていく。
僕自身、カリフォルニアン・イデオロギーに100パーセント賛同するわけではないですが、それでも気持ちよかった。
強烈なポジティブさは、その内容如何にかかわらず、人を爽快な気分にさせるのだと思い知らされました。
自分は、「バランスを取って生きよう」とある種一歩引いて眺める人文学的見地に完全に立つことは嫌だ、と思いました。
ポジティブさで世界を変える、カリフォルニアン・イデオロギー的な観点に立脚しつつ、ポジティブな形で人文知を接続させたいです。
特におもしろかったトピック3選
個人的に特に面白かったトピックは以下の通り。
●コーポラティビズム
→普段から抱えていた、GDPRのようなデータ囲い込み運動への違和感を解消してくれるのではないか、と思わされるトピックでした。
●データ資本主義の特集
→どの論考も面白かったです。やはり自分の関心領域の中心はこの辺りにあるのだなと再確認。
●冒頭の特集
→先述のように、カリフォルニアン・イデオロギーのシャワーがものすごかったです。また、東浩紀が入っていた点が、ある種のフラットさが感じられてよかったです。カリフォルニアン・イデオロギーとは対極に位置している人だと思うので。
イベントがとにかく熱くて、最高でした。
そして、刊行に際して開催された「WIRED NEXT GENERATION 2018」にも顔を出してきました。
内容もさることながら、とにかく熱量がすごかったです。文字通り「ゲリラ激論」が実現されていたと思いますし、高校生から中年男性まで、食い入るように議論を聞き、時に食ってかかっていく様子は圧巻でした。
いつかこんなイベントをつくってみたいと思わされましたね。
スピーカーが基本的に25歳以下だった点も、非常に刺激を受けました。
雑誌というメディア
また、雑誌というメディアが持つ特質についても考えさせられました。
Webメディアや書籍と比べて、以下の理由で雑誌は思想性が伝えやすいのではないかと思いました。
Webメディアと比べて、滞在時間が長い
Webメディアは、一度に読むのは一つのメディアあたり、せいぜい数記事です。対して、雑誌は数時間続けて読むこともしばしば。記事数にして数十記事になることも。思想性を強く感じてしまうのも当然でしょう。
書籍と比べて、思想が表に出てきていない
書籍は、「さぁ、この著者の言っていることを聞くぞ」という心持ちで読みます。つまり、強力な思想性を期待して読むし、それを受け止める用意もある。だから、ある意味批判的に読めると思うんです。対して雑誌は、1記事1記事の思想性が濃い分けではない。せいぜい数ページの論考ですから。ただ、塵も積もれば山となります。身構えていないこともあいまって、じわじわと思想が侵食してくるのではないでしょうか。
人文書を読むためには、「筋力」が必要だ(千葉雅也『意味のない無意味』書評)
久しぶりに人文書を読む。
カチカチの理論書ではなく、エッセイ集ではありますが、人文書は人文書。
最近使っていなかった「筋力」が必要で、苦労しました。
ビジネス書は、基本的に誰にとってもわかりやすいように書かれています。具体性も豊富です。だから、一見分厚くても、すらすら読めてしまいます。
一方で人文書は、かなりハイコンテクストに書かれていることがほとんどです。背景知識がないと解像度は上がりません。
また、抽象的な話が大半を占めるため、自分で具体例をイメージし、腹落ちさせていく必要があります。
それはまさに格闘技のようでもあります。脳細胞をフルに動かして、全力でテキストにぶつかっていく。
もちろん、解像度が100パーセントになることはありません。せいぜい、20パーセントが30パーセントになる程度。
けれど、少しでも競り返すことによって得られる快感、そして世界の真実に一歩近づけたと思える全能感が、癖になるのです。
今回『意味のない無意味』を読んだときも、そうした悦楽を味わいました。
しかし、学生時代に比べ、そうした筋力が衰えてしまっている気もします。
毎日たくさんのWeb記事を流し読みし、十分に文章を咀嚼する習慣が減ってしまったからでしょうか。
少し危機感を覚えたので、量より質を重視し、しっかりとテキストを味わう習慣をつくっていきたいと思います。
(本の内容自体は、非常に面白かったです。芸術批評などはハイコンテクストすぎてついていけないものもありましたが、理論立った論説や、短いながらも示唆に富むエッセイなど、さすがでした。またそのうちじっくりと読み返したいです。)
スタートアップの魔力
スタートアップには魔力がある。
スタートアップで働く高揚感は、何者にも代えがたい。
起業したわけでもなく、ただシード期のスタートアップで働いた経験があるだけで、自らそこを辞めただけの自分ですら、たまに恋しくなる。
その感覚を思い出させてくれる作品を観ました。
Amazon Primeで配信中のコメディドラマ『シリコンバレー』です。
シリーズ5まであるこのドラマ、一気に完走してしまいまいました。
技術力は高いが未熟な若者たちが、たくさんの危機に遭遇しながらも、なんとか会社を成長させていく物語。
序盤は、スタートアップの基礎的な知識を、肌感覚をもって身につける意味でも良かったです。
後半になるにつれ、ややグダっていく気がしなくもなかったですが、最後まで楽しめました。
スタートアップがやりたい、そんな風に思わされてしまう作品でした。
次のシーズンも楽しみです。
ただ、ひとつ思うのは、このスタートアップの魔力ですら、賞味期限があるのではないかということ。
起業家としてある程度成功したのち、連続起業家やエンジェル投資家になった頃には、モチベーションも変わっているでしょう。
この高揚感は、ある種の麻薬に過ぎない。
高揚感がなくてもやりたいと思えるようなことを、見つける必要があるのではないでしょうか。
シングルタスクに徹することで、「無駄な時間」がなくなる
最近、プライベートの領域で色々と思い悩んでいたことがあり、仕事にあまり身が入らりませんでした。
もちろん解決のためのアクションを取るべく動いてはいましたが、それでも気が紛れるはずはなく。
遅々として進まない時間をなんとかして埋めようと、ブックカフェで手当たり次第に本を読むなど。
そこで、普段ほとんど手に取らないジャンルの本に目を通してみて、「マインドフルネス」に関心を持ちました。
残念ながら本の題名と著者は失念しまったのですが、そこに書かれていたのは、「現代人は常にマルチタスク状態で、脳が疲弊している。意識的に1日をシングルタスクで埋めることで、もっと気楽に生きられる」といった主旨の内容。
ここでいう「マルチタスク状態」とは、「食事中にスマホ」のような明らかなものだけでなく、不安事を抱えながら物事に取り組むことなども含まれます。
そして「マルチタスク状態」を脱して「シングルタスク」に専念するための手法が、「マインドフルネス」だということです。
マインドフルネスによってシングルタスクに徹することで、自分の中にある感情をしっかりと味わい、それにより乗り越えることができるそうです。
こうした「ありのままを感じ、それを認めてあげる」という思考法に、少しだけ救われた気がしました。
実は以前マインドフルネスに深く関わる対談記事を執筆したこともあります。
この対談の内容自体は非常に興味深く、とても学びが多かったのですが、身体ごと理解できていたかというと微妙でした。
しかし精神的に追い詰められた状態で、マインドフルネスに関する本を読んだ時、この記事の内容ごと腹落ちした気がしたのです。
もちろん、僕はマインドフルネスに関しては全くの門外漢なので、正確で詳しい定義については専門書などを参照して欲しいです。
とはいえ、僕が確かに救われた感覚を得られたのは確かです。
呼吸法や瞑想といった個別のテクニックはもちろん、マインドフルネスが持つ思想自体に関心を抱きました。
そして、シングルタスクを徹底すると、すべての営みや時間を味わえるようになり、「無駄な時間」がなくなるのではないかと思いました。
それはシンプルに素敵なことではないでしょうか。
とりあえず、些細なことから、意識的にマルチタスクを減らし、シングルタスクに取り組むようにしてみようと思います。
まずは、食事やランニングをしながら音声コンテンツを聴くのを控えるところから。